ぐんのブログ

30からのバツ這い上がるマン

過去の自分に一通だけメールを送れるとしたら

こういうテーマみたいなのみると、昔にブログをやってたときを思い出しますね。何が楽しくて一日に何記事も書いてたのか…。それも良い経験というか、思い出というか。

 

あ、どうもぐんです。

 

あれからしばらく書いてませんでしたが、進展しそうになったり衝突しそうになったりとありそうでなかったという感じですね。そんなこんなで明日から無事に決まった次の就業先の初出社ですよ。

さすがにもういい歳なんで緊張なんかはしませんが。変に気張ると同じことの繰り返しになりますので、ゆったりと気を持ちつつやっていけたらと思います。面接でも社長に言われましたが、

 

「石の上にも三年」

 

はい。最初の就業先に就いた時に自分の中で掲げ、無事に4年半も働きましたからね。基本の感情としてはもちろんありますのでしっかりやりたいですね。

知らない世界だったから3年見て世界を知るという気持ちもあったと思いますし、次は知ってる世界だったので3年何をするべきなのかということに非常に迷ったんだと思います。

今度も大きな括りで言えば同業ですが、フィールドがまた若干違う感じなので新鮮に働くことは出来るかと思いますし、業務も多岐に渡ることが可能なので手持ち無沙汰になることは少ないんだと思います。貧乏暇なしとはよく言ったもので。何もないところから再スタートだしちょうどいいんだと思います。

 

というところで、働き始めてしばらくは自分の生活にも慣れるために色々と大変でしょうが頑張らないといけないと。特に金がない…。今月の給料も恐らく出ますが雀の涙、いろんな支払いだなんだのリズムや金額を見てるとかなりカツカツ。1月の給料から立て直していきたいし、なんなら早く家売れてくれ。値下げしたからはよ。

 

 

 

なんていう近況でした。一応ご報告までに。

というわけで、表題の件。

そんな動画を見てしまい、現時点で過去の自分に何か伝えるものはあるだろうか?ということを振り返ってみようと思います。昔も12月によく一年を振り返って、とか来年の抱負、とかやってましたんでそれの延長みたいなノリです。なんとなく振り返ることをしなくなってしまったので、ここいらでそういう習慣をまたつけて反省と次への成長に繋げていきたいところです。

 

過去の自分に言うべきこと。

つまり、自分にとっての人生のターニングポイントはどこなのか、を明確化するということですよね。人生とは選択の連続ですとは言ったり言わなかったりしますが、まさにそういうことですよね。

ぐんが30数年生きてきて、どこを人生の分かれ道と見るか。

選択肢を選ばなかった未来を知ることはないので、どこなんだろうってピンとくるものって少ないなって思って振り返ってますが一つだけ。もしかするとここなのかもしれない箇所が一つ。

 

 

 

 

18歳、高校卒業間近の自分に。

みんなで組んだバンド楽しくって、音楽の専門へ進む道を決めた自分へ。

うまくなりたい気持ちを忘れてはいけない、君の天井を君で決めてはいけない。しっかりと全うして進んだ道は、いま僕がいるところとは違う未来になっているはずだ。バンドを辞めてもなお、君は音楽と共に歩むことになる。音楽は裏切らない、君も裏切ってはならない。

そして君は選択を迫られる。

みんなで作ったバンドを続けてやるのかどうか、と。

迷うことなく答えて欲しい。

もちろん続けると。

この4人で見れる景色を見ようと、そう答えて欲しい。遠慮なんかいらない、だってみんな親友だからわかりあえる。今でもみんなと一緒にいるんだぜ。若いうちにしか出来ない夢くらいやってみたら良い。何度でもどうにでもなる。僕とは違う景色を見に行って来い。

 

 

 

 

ですね。

音楽を始めたきっかけは地元の仲良い友達でやり始めたのが最初。バンド組んでオリジナルも作って、そこそこには活動もして。俺はそのまま、高校でも他の人とやったり外でメンバー募集みたいなので一緒にやったりしたんだけど。

専門にギターの練習したくて通うってなって、バンドどうしようかって悩んだ。

一人は同じ専門に通うってなったけど、他の二人は普通に大学とかフリーターとか。

俺は専門に行くし、プロめざしていきたいと思い始めてたんだけど、大学とか普通に働くとか、そこにギャップを感じてしまっていたんだよね。

各々の生きる道があるし、こっちが強要することもないじゃないかと。バンドマンとか貧乏だしさ。そこまで引っ張らなくてもいいのかなって遠慮した。

でも、だからこそその二人が聞いてきたんだと思う。

「バンド続ける?」

って。

二人に対してプロというものを線引きするのかどうかを見られたんだと思う。そして、出した結論はやらないと伝えた。

難しいよね、仲良いのにさ、肝心なところはやっぱりなかなか掴みづらいとこもあって。その頃の俺自身も相当なアホだったのもあるんだけど。色んな事に正直に生きれたらもっと楽なのにと今の自分にも思うことはあるもんな。

 

結局、その後は色んな物をハンパにしながら今日まで来ていると。

それはそれで、俺が生きた道なので否定するわけにはいかないんだけどね。

たぶん、ターニングポイントとしてあげる点はそこなんだと思う。

 

何をしても、後悔しないで生きるということは難しいんだと思う。全力で生きた所でどうにもならない時もあるし、全力でやればどうにかなるもんでもない。

ただ、それは死ぬ間際にしか決められない。だけど、その時にはどんな人生でも後悔はしてないと思う。寿命でも自らでも。人生を終わるってそういうことなんじゃないかと思う。

だから、死ぬまでは後悔しながらでも生きていくしかない。生きてこそ、辛いこともあるし悲しいこともあるけど。間違えてきた道でも乗り越えてきたものはある、そうやってたどり着いた自分は間違いじゃない。俺はそう信じている。

 

離婚したって、子供と離れたって、悲しいことは悲しい。しっかりと話が出来るようになって、なんでも出来るようになってますます可愛い盛りだけど。

今回の件で、自分の決めたこと、自分の感じることに迷わない。という気持ちを固めた経緯もある。辛くても悲しくても、俺が進むための決断は俺が迷わず生きるため。今後も、自分に正直であるため。俺の人生を自分で見て決めるため。

俺はそれらを引き連れながらも生きる道を選ぶ。死ぬことも出来たけど、もう少しだけ現世で遊ばせて欲しい。まだまだ生きてやるべきことはたくさんあるんだって。

 

という感じやな。

表題とは沿ってるかわからん内容だが、まぁこういうのもいいでしょう。人生の振り返りがテーマでしたからね。来年からのざっくりとした抱負、信条みたいなんも出来たわけですし。激動な2017年になってしまいましたが、2018年へ繋げる一歩は出せたかなというところですかね。また、仕事納めくらいで来年度への意気込みを出せればですね。あともう少し、事が全部落ち着いたらゆっくりとしたいですね。

2018年は平穏無事を取り戻す、というのを第一にやっていきたいですね。

 

では、出社も控えてますので夜更かしはほどほどに寝ましょう。

全然リズム直してなかったからな…。そこも頑張る。

ふぁいとー!

離婚する時のあれやこれや

連投すんぞ、おらぁ!

というわけで、ぐんです。

書くときにパパッと書いてしまうのが私です。フリック入力だと多少早いですがまだまだ慣れませんね。頑張って書きます。

 

さて、前回の終わりがけに書いた話を細かく。

離婚する際にお互いに条件やルールを決める、これをまとめたものを協議書という。公正証書という公的な文書とすることで、法的効力を用いて金銭関係に対して効力を持つ事が出来る所まで話しましたね。

公正証書は言ってませんでしたが簡単に言えば、書式は問わず書面を公的に証明したものを公正証書といいます。そういった役場があり、そこで証明して受理してもらうと出来ます。

 

この、協議書を公正証書にする意味としては金銭関係の不履行に対して法的な力を持ち執行を可能とするのが一番の目的です。あとは、公的な文書とすることで守るべきものという一種のプレッシャーとする意味があります。

公的にしているので原則的にはその書面の内容を遵守する必要はありますが、実際の法に基づいて効力を発揮するのは金銭面のみです。ここは重要ですので覚えておいてください。

 

つまり、払う側大概の場合は男性側ですが、非常に不利に感じる証書であることは間違いないでしょう。

しかし、ここで何をしておくべきなのか、ということを踏まえると難しい話ではありません。

 

この協議書、互いの署名捺印を以って交わす必要があります。要は契約書と同じです。サインがなければその人間に効力はない、当たり前ですね。

まず最初の段階で嫌ならサインしない、という選択肢が可能です。納得しなければサインは必要ありません。

これで終わる話です。

 

ちょいちょい待てよ。

それで相手は納得するのか?

中にはもう諦めてしまう人もいるでしょうが、納得しない方もいるかと思います。

押し問答になるかもしれません。

 

ここでもう一つ。

協議書の内容に決まりはありません。

つまり、条件を互いに提示し合えるということです。

向こうは当然自分に有利になる条件を提示してきますが、受ける必要はありません。ばっさり切ることは可能です。

また、逆に自分から提示することも可能です。男性側としたら子供の面会などが大きいでしょうか。そういった内容も加える事は可能です。

最終的に互いが譲歩しつつ条件を決めることで成立するのが協議書です。

 

ちなみにここで揉めれば後は裁判です。

ただ、離婚の裁判に関しては大きくあれしなさい、これしなさいという決まりは起きません。公的証書を裁判で決めるようなもんと、ざっくり感じてください。

ここまでくると、時間もかかり金もかかる話です。しかしながら、それで得るものは限りなく少ないものです。男性側女性側どちらにしてもここまで起こす必要性は皆無です。出来れば協議の上、条件を交わし協議書を作成し公的証書に収めるのが無難です。

 

 

先程、協議書にサインの必要はないと言いました。確かにありません。無視もできます。しかしながら、離別する夫・妻に対してはどうでもいいとしても、やはり子供のためにやるべきことはやる。それは親として決める事としたほうが私は良いと思います。

親として何をするべきなのか、子供に対してしっかりと向き合うことは必要だと感じます。

私自身そう感じています。

 

実際、自分で親権を取ろうと思いました。

相手側は育児をまともにしないと思っているからです。事実としてそういう事が多々ありました、それを見てきているわけです。

しかし、結果として親権を取ると相手側が主張しましたので渡しました。日本では男性側が親権を取れるケースは非常に稀です。確固たる証拠をいくつも揃える必要があり、並大抵のものではありません。残念ですが、子供を手放さざるを得ないという状況でした。

ですので、私として養育費の件について協議書としてしっかりと責任を持つという意思は伝えています。

それ以外の条件に関しては不利なものは却下して現在作成している中です。それで揉めてくるようであればさらに揉めてくるでしょうが、あくまでも両者合意する必要のあるものですので無理難題な条件は書けるものではありません。

 

こちらも状況が進み次第追って書いていこうかと思います。

 

 

 

なんとなく、公的証書という言葉に焦りがちですがサインせずじっくり見ることは可能です。落ち着いて向き合いましょう。困った時は弁護士などに相談するのも手です。

また、これらは提示された、ということを前提にしてますが先にこちらから提示する事も可能です。大きな決まりは公的証書にする前の段階では、特にありません。ただの紙と同じです。

 

離婚する、その後、をよく考え、自分なりに円満に解決出来る方法を見つけ出すのが一番大切な事です。争いのための紙ではありません、争いを生まないための紙です。これが重要。

これからまた他人になる相手とムダな諍いを生まない紙です。

 

 

 

というところです。

なかなか大変ですよね。ここの話し合いに関しては、もう言い合いになるか譲歩のし合わない部分だからね。揉めるでしょうが、慌てずにゆっくり考えるのが大切です。

男性側は離婚、という際にこういう法的なものを含めて守られる事があまりないのと、男性目線から語られる離婚に向けてという話が非常に少ないです。

なぜなら、ほとんど男性に原因があるからですが、それと同時に女性は守られる立場になっているからです。私自身に、大きな落ち度はあるわけではないのに弱い立場なのは変わらないのは、後者の理由があるからです。

女性側がこう、といえばこう、なるわけです。

だから女性向けが非常に多いのです。

 

養育費が不払いになっていく、ケースが多いのは数値化されている話です。これは男性側が悪い事が大半ですが、難しくなるケースもあるはずです。

やはり、親として養育費は払うべきと私は思います。しかしながら、かと言って無理な約束をするべきでもないとも考えます。

だからこそ、協議書とは何かという仕組みから理解し、自分と子供を守るものとして男性側もしっかりと考えて欲しいと思います。

 

私自身も法律は素人ですが、知識としてここまで色々自分なりに調べました。間違ってる部分もあるかもしれませんが、なにぶん素人ですので詳しい所は法律家へご相談を。

ちなみに、離婚案件ではやはり男性に味方する所も多くはないと思います。

見つけられるのが一番良いですが、そういうことも含めて自分でも知識を増やして調べるのをおすすめします。

 

 

 

というところでした。

長くなりましたね、昔から話題が右往左往するのです。

まとまらないけど、とりあえず全部書いてみる精神です。

参考までに、というところでしょうか。

人と人との気持ちの部分になかなか第三者が入り込むのも難しい話題ですよね。

当人同士で解決できるのが、何よりだと思います。

ま、私たちもそういう形で終わりたいですが、いやはやこういう時に無駄にずる賢いというかクレバーというか…。

私自身に言い聞かせているような部分もありますからね、しっかりとやっていこうと思います。

 

では、また。

次は何書こうかな…。

雑談書くほうが好きなんだけど…。

 

ここまでのあらすじ!

って、書くと物語感が出ますね。

皆さまこんばんは、ぐんです。

ぐん、はPNですが名前とは何も掛かってません。色んな物の遠回しでたどり着いたのが、ぐんです。

 

さて、最初の記事になぜかここまでのあらすじを書きますとしてしまったので、ざっくりですが書きましょうかと思います。

 

結婚して早5年。めでたく子宝にも恵まれ子供は1人。しかし、夫婦仲は日に日に悪くなります。ここで取るべき行動は何か。

一旦今までの関係を整理しましょうという結論に至ります。

 

夫婦というものは、何年何十年と共に人生を歩んでいくパートナーです。しかしながら、元をたどると赤の他人なわけです。血が繋がってるわけではない分、くっつき離れが簡単にできる間柄というわけです。

実際には2つの家系が関係し合いますので、そう簡単にいく話ではありません。普通であれば、ですが。事実、私の家庭では簡単に解消する話になってしまいました。まぁ、多少紆余曲折するのは後ほど…。

 

さぁ、どうしますか。

そう問いかけました、あっさり終わりましょうという答えでした。

一度、立て直す話は出ましたが結局修復することはありませんでした。

この結論に至るまで、互いの思惑・感情などは山ほど色々なものがありますが、男性目線しかありませんのでご了承。

 

何が結局争点になるのか、それは夫婦仲、そして子供について。夫婦が考えることはそこしかありません。

私自身のことは、自称でしか話せませんので事実と異なっていることもあるかと思いますがそのまま話します。

 

たしかに妻に対して冷たい、というよりそっけない事も多かった気はします。しかし、その度に色々な人に促され感謝や伝えることは少しずつ重ねていたと思ってます。

また、子供に対しては自負できるほどには育児にも参加してました。父親として厳しくすることもありましたが、甘やかすだけではなくルールやマナー、守るものを教えるものとしての役割を果たしてきたつもりです。

 

育児に参加するしない、妻を大事にするしない、どちらが良いとかではないのです。その家庭においてどういうスタイルが合っているのか、それに尽きるのです。

それはつまり、どれだけ夫婦がわかり合っているのか、ということに直結します。

ケンカするしない、そういう話でもありません。好きだ嫌いだでもありません。

互いを理解し合い、スタイルを共有して生きていけるのかどうかが大事になるということです。

 

残念ながら、私たちはそこが何一つ出来ていませんでした。証拠として、離婚という結論が出てからは過去最悪な嫌悪を互いに身にまとって一つ屋根の下にいます。

精神はすり減るばかりであります。

 

また、この話が出た同時期に仕事でトラブルが続き離婚の結論と同時に退職。現在は就業先も決まり入社の最終的な時期の調整中です。

ギリギリのところで決まってほっとしたのが本音ですね。もっと早く決まるかと思いましたが、さまざまな関係上条件が多くなってしまい足かせになりました。

 

 

つまり!

離婚を決定し、本格的に離散への準備をほぼ進め、入社を待つ状態、というわけです。

離婚を機に転職、は良くある話だそうですね。出費も増えますし、引っ越しなどもありますから。

まぁ、経験者から話を聞けばだいたい皆さん言うのが、

 

「離婚は体力を使う」

 

です。

紙を出すだけ、そう思っていた時期がわたしにもありました。

実際どうですか。

 

 

 

すんげーめんどくさい

 

 

 

色んな形で離婚する方がいると思いますが、子供がいなければスッと決まることもあります。ですが、子供がいる場合については決め事が多くなります。

簡単に言えば、離婚の条件というべきところですか。

 

養育費、どうしますか?いくら?

慰謝料、ありますか?いくら?

貯金、ありますか?いくら?

家はどうしますか?売る?引っ越す?

 

私の場合では全てが取り決めないといけないほどには、ごく普通に家庭を築いていました。こんな結末になるとは誰が思っていたのか。

そういったところの取り決め、ルールを決める必要が基本的には存在します。それが俗に言う協議書というものです。

 

離婚するにあたり、細かい決め事を書き記し互いにそれを元に今後の生活を送る、というものです。

一番の目的、としては協議書の効力として一番大きなものが金銭関係に対する法的効力です。慰謝料、養育費などの不履行があった場合に記載があれば、法的効力を以って強制的に執行することを可能にするものです。

これ、払う側としては非常に厄介な代物です。迂闊に署名、捺印してしまえば法的な力を宿してしまうわけです。今後何があるかわからない中、果たして応じるべきかどうか。

 

 

あれ?あらすじの回なのに…。

これについては、また次の記事にて詳しく書きます。

とりあえず、ぐんさんは今離婚準備中の無職です。

それがここまでのあらすじ!

おはじめ

さて。

久しぶりにブログを書いてみることにします。

はじめまして、ぐんです。

 

Twitterにはちょくちょく落書き程度に書き殴っていましたが、140文字ではまとまることもまとまらないためブログにしました。

どんな事であれ、また文法や校正も稚拙ながらそれでも何かしら文字で文章を書き記すことが好きなんだと思います。

 

偶然にも今は暇な時期のため、書くことが出来ますが1週間もすればしばらく書かなくなるかもしれません。

それでも何かしら書いておく必要が出るだろうから、自分自身の心の拠り所として記録していきたいと思います。

もうすでに280文字になりますが、Twitterでは2投稿分ですね。やはり、物足りないですねと確信です。長文万歳です。

 

 

さて、ここに何の記録をしていくのか。

簡単に申すと、バツを抱えた陰キャな30代男性の再スタートの準備段階からスタートしてゴールするまでの記録です。

見る人がいるかわからないのと、見せるようなものではありませんが、身バレるような特定の事を書くことは出来る限り避けるかフィクションの世界を書く予定。

なので、主に僕自身の心情を描くことが大半だと思います。昔からの精神安定法なので、そういう用途です。なーに、別に病んでるわけじゃないよ。バツがついたけど心は楽になってるんだよ実はね。

 

なので、次はここまでのあらすじを書いていこうと思います。

個人的な今までの人生を振り返る事と、バツがついた事柄がどうマッチしているのか。はたまたミスマッチしているのか。

自分自身としても振り返る為にも書いていきたいと思う。

僕は今の時点では次のステップに対して非常に後ろ向きに感じています。

それで良いのだろうか、そういう感情もあるわけです。ただ、前を向く必要は確実にあるわけなので僕は今までの過去から未来へ何を持っていけるのかをもう一度現時点での持ち物を再確認する必要があると。

それがここのブログで見つけたい答えになるはずなんだという事です。

その為の様々な自分自身の感情や心情を記録していきたいと思います。

 

バツという事案のリアルな日常とかは恐らく書けませんが、ふわっとざっくりなら少しだけでも書いていけたらなと思います。

人が離婚をするとなった時、一体どういう事が起こってくるのか。

今考えてる人、結婚を控えて不安な人、結婚に興味がない人、様々な所に向けての何か情報源になっても面白いかなとも思います。

なかなか男性目線ということで語られるものは少ないのでそういうのも斬新かなって勝手に思ってます。

ただ、法律的なものはわからないのでその辺はノータッチです。そこは餅は餅屋ということで…。

 

 

そういう形でブログをスタートします。

タイトルも特に変えません。ぐんのブログです。そのままです。

頑張って書いていくぞー、おー。